それは早く朝鮮美術への親愛から生まれた「朝鮮民族美術館」設立計画となって現われましたが、民藝という観点からいえば、まだ萌芽の段階に留まっていました。そこから木喰上人の研究を通して、純粋な民藝哲学に飛躍するターニング・ポイントが大正14年でした。
この年、36歳の柳は河井寛次郎、濱田庄司とともに、「民藝」という新しいテクニカルタームを発明したのです。いや、翌年発表された「日本民藝美術館設立趣意書」を読むと、民藝という新語を作ったのではなく、民藝が柳によって発見されたのだという感を深くします。
展覧会タイトルの「絶滅写真」は、杉本さんが愛して止まない銀塩写真が、いまや絶滅の危機に瀕している技法であるところから名づけられました。展覧会趣旨にあるとおりですが、さらにさまざまな意味を読み込みたい誘惑に駆られます。 銀塩写真が絶滅危惧種であることは事実ですが、写真その...
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