2024年5月23日木曜日

世田谷美術館「民藝」8

 

この民藝発見がなかったら、その後の柳はどうなっていたことでしょうか。『白樺』のロマン主義と理想主義の亡骸なきがらにすがり付いて、柳自身が思想哲学の亡骸になっていった可能性もあるのではないでしょうか。耽美主義の罠にはまって、思い出に生きる寂しい晩年を送ることになったかもしれません。

少し意地の悪い言い方をすると、そのような『白樺』同人がいなかったわけではありませんでした。柳を救ったのは、「もの」が有する力の賜物であったと思います。ここに『白樺』時代に続く柳民藝時代が始まることになります。柳=民藝という等式が成立した時代ですが、これについてはかつて韓国・梨花女子大学シンポジウムで発表した内容を含め、改めて私見をアップしたいと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿

太田記念美術館「国芳の団扇絵」8

  しかしさらに筆が進んで、日本の男は醜いが、女は別人種のように美しくて優れていると書いた、モラエスやアーノルドやゴードン・スミスのような西欧人もいました。スミスは「この国ではひとりとして恰好いい男を見かけない。ところが女のほうはまるで反対だから驚いてしまう」と書いているそうで、...