もちろん崋山もソク快諾、3人で出かけると「雨降晴雪」「仮屋喚渡」「相河清流」「菅廟驟雨」「熊林暁烏」「桐堤賞月」を「写真」したのでした。そして翌日、崋山は鐘助の求めに応じ、これを浄写して贈ったのです。
この浄写本は戦前まで伝えられてきたことが確認されるのですが、その後行方不明になってしまいました。ところが畏友・古田亮さんが、ハーバード大学美術館に収蔵されていることを発見し、2017年『國華』1457号に発表してくれたんです。最初に古田さんからこの大発見を聞いたとき、「ホンマかいな」と驚いたものでした。古田さんが指摘するとおり、崋山における真景図と文学的趣向を考える上で、きわめて重要な連作なのです。
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