かくして早川村に近い小園村の百姓・清蔵と結ばれ、5人の子どもを授かって幸せに暮らしているお銀さまと、安堵と涙の対面を果たし、役目を無事終えた崋山でした。その夜は崋山が泊まっていた万年屋に、手習いの師匠・斎藤鐘助と医者の唐沢蘭斎が呼ばれてやってくると、長唄や三味線がうまいこの地の商人も加わって、飲めや歌えで大いに盛り上がったのでした。
翌日はこの鐘助と蘭斎の案内で、厚木六勝を見て回ることになりました。鐘助は瀟湘八景からでもヒントを得たのでしょう、早く「厚木六勝」を選んでいたので、実際にそこへ行って絶景を描いてほしいいと崋山に懇望したのです。
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