140万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2023年10月24日火曜日

サントリー美術館「虫めづる日本の人々」37

 大田南畝は始まりつつあった寛政の改革と、生類憐みの令を重ね合わせるようにして眺めたのではないでしょうか。松平定信が老中となり、本格的に寛政の改革が開始されたとき、身の危険を感じた南畝は、すぐに狂歌から、そして軟派文芸から転身をはかります。しかし心中は、かの宝井其角とまったく同じだったのではないでしょうか。

南畝にとって、寛政の改革は生類憐みの令と同じ悪政だったのです。しかも生類憐みの令はジャスト100年前の悪政でした。老中定信が誕生した天明7年は、生類憐みの令100百年祭(!?)ともいうべき年でした。南畝の脳裏に生類憐みの令が浮かびやすかったともいえるでしょう。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

東京都美術館「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱 海を越えた江戸絵画」5

    その キャプションは 伝狩野孝信筆としました。 土居次義先生 がこの裏面にあった「琴棋書画仙人図」 (米国・シアトル美術館蔵) とともに、 孝信 筆と推定されていた からです。 もっとも 『日本美術全集15<永徳と障壁画>』 出版 の直前に、小嵜善通さんが 狩野永徳の弟・...