2023年5月12日金曜日

追悼 ジョー・D・プライスさん

 さる413日、「饒舌館長ブログ」に何度も登場していただいてきたアメリカの日本美術、とくに江戸絵画のコレクターとして著名なジョー・D・プライスさんがお亡くなりになりました。享年93でした。心からご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

すでにアップしましたように、今年のはじめ、出光美術館において特別展「江戸絵画の華」が開催されました。先年、ジョーさんと奥様の悦子さんが情熱を傾けて蒐集された作品の200点ほどが里帰りして、出光美術館のコレクションとなりました。「江戸絵画の華」はそのお披露目展で、第1部「若冲と江戸絵画」と第2部「京都画壇と江戸琳派」にわけて85点が展示され、見るものの眼を楽しませ、心を沸き立たせてくれました。そのときのエントリーをバージョンアップして、天上のジョーさんに捧げたいと存じます。

ジョーさんが尊敬して止まなかった建築家であるフランク・ロイド・ライトの親友にして、弟子であった建築家にブルース・ゴフがいます。その設計になるオクラホマ州バートレスヴィルのプライス邸にお邪魔し、コレクションを拝見させていただいたのは昭和50年(1975)初夏のことでした。山根有三先生をリーダーとする在米琳派調査旅行のときでした。誰よりも伊藤若冲を愛するジョーさんは、若冲の号にちなんでその私邸を「心遠館」と名づけていらっしゃいました。

1993年秋には、プライスご夫妻が主催した国際シンポジウム「Legacy of Japanese Art Scholarship」に参加させてもらいました。ご夫妻はカリフォルニアのコロナ・デル・マールに新しく建てた、おとぎ話に出てくるような家――マッシュルーム・ハウスにお住まいでした。

その別棟ともいうべき、スタディルームにおける贅沢な鑑賞体験を忘れることはできません。谷一尚さんと一緒に泊めていただいた研究宿舎と、ご夫妻の心づくしが懐かしく思い出されるのです。

あの2011.3.11の東北大震災のあとには、東北の人々を、いや、日本人を鼓舞し元気づけるために、ジョーさんと悦子さんはあえてコレクションを貸し出し、仙台、盛岡、福島で特別展「若冲が来てくれました――プライス・コレクション 江戸絵画の美と生命――」を開催してくださいました。

秋田出身にして秋田県立近代美術館のディレクターをつとめていた僕は、ジョーさんの男気、プライスご夫妻の心意気に感ぜずにはいられませんでした。無理をいって、盛岡と福島におけるご夫妻の講演会に加えてもらったのでした。

先の在米琳派調査旅行の前にも、ジョーさんの盟友ともいうべき辻惟雄さんに紹介され、東京でお会いしていますから、文字通り半世紀の間親しくさせてもらってきたわけです。改めてジョーさんに、そして悦子さんに感謝の辞を捧げたいと存じます。

 特別展「江戸絵画の華」から「僕の一点」を選ぶとすれば、何といっても円山応挙の「懸崖飛泉図屏風」ですね。京都の個人宅でこの屏風をはじめて見て感を深くしたのは、20001218日のことでしたが、相前後してプライス・コレクションとなりました。3年後『國華』で「プライス・コレクション特輯号」が組まれることになったとき、この傑作はぜひ僕に紹介させてほしいと、主幹の辻惟雄さんにお願いしたのでした。その特輯号は1290号として発刊されましたが、ジョーさんがとてもお喜びになったとお聞きし、こんなうれしいことはありませんでした。

僕は「このような傑作が海を渡ってしまうことを、少し残念に思う気持がまったくなかったわけではないけれども、自己の美意識にのみ忠実に収集を続けるジョウ・プライス氏に末永く愛されることになったこの屏風は、ふたたび幸せな環境に戻ったというべきであろう」と書き出しています。

しかしそれがふたたび里帰りし、しかも永住の地・出光美術館に収められたわけですから、僕の少し残念に思う気持が天に通じたにちがいありません。ジョーさんも天上で「よかった よかった」と改めてお思いになっていらっしゃることでしょう。

 ジョー・D・プライスさん、長い間本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。                              合掌

 

 

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