2023年5月7日日曜日

静嘉堂@丸の内「明治美術狂想曲」15

その原田平作さんが、『美術フォーラム21』に続いて、言葉足らずでもいいから、もっと言いたいことを簡単に書くことができる雑誌として、10年ほど前、『視覚の現場・四季の綻ほころび』をお出しになりました。これは10号で中〆とされたのですが、去年『須田記念 視覚の現場』として復刊されることになりました。僕も大好きな須田国太郎画伯のご子息である、須田寛さんの高配と援助によるところだそうです。

須田寛さんといえば、一昨年、「饒舌館長」に優先席問題をアップしたとき、シルバーシートの発案者としてお名前を挙げさせてもらいました。もっともその時、須田画伯のご子息とは存じ上げなかったのですが……。

いま美術雑誌を出版することには、ものすごい苦労がともないます。個人で醍醐書房を立ち上げ、企画出版を継続していらっしゃる原田さんに、どのようなオマージュを捧げたらよいのでしょうか。尊敬の念とともに、心から感謝の辞を贈りたいと思います。

『須田記念 視覚の現場』は、去年「祝賀復刊記念号」に続いて、第1号が刊行されました。求められるままに僕は、「ヌードと春画」というエッセーを寄せました。

ちょうど同じころ、中国美術学院で開かれる国際シンポジウム「歴史と絵画」に招待されたので、かつて横浜美術館で特別展「ヌード」を見たときの感慨を取り入れながら、「黒田清輝の写実と天真」というペーパーを用意していたからです。というよりも、どのようなテーマでも、自由に書いてもらって結構だという原田さんのお言葉に甘えたのです。

僕がディレクターをつとめている静嘉堂文庫美術館には、かの腰巻事件でよく知られる黒田清輝の「裸体婦人像」があります。1900年、パリ万博のために渡欧した黒田は、そこで「裸体婦人像」を制作し、帰国後の翌1901年、第6回白馬会展にこれを出品したのです。

明治維新に続いて近代国家を建設しようとした日本は、ご存知のように中国文明に別れを告げ、西欧文明をモデルとして採用しました。西欧文明の基本には人体があり、したがって西欧美術の根本にはヌードがありました。

それにも関わらず、どうして黒田の「裸体婦人像」や、それに先立つ「朝妝」が猥褻だということになったのでしょうか。ずっと考えてきた問題であり、また私見もあったので、原田さんに甘えて文字にしてみたのです。

ここにはすでに説かれるキリスト教的価値観とともに、儒教的価値観が存在しました。またヌードという伝統を持たない我が国では、それが春画と結び付けられやすかったのです。さらに「裸体婦人像」がリアリズム絵画であり、それが広く一般に公開され、しかも凝視を強いる芸術であったことが問題にされたのです。ご興味のある方は、『須田記念 視覚の現場』第1号をどうぞ……。

しかしこれらは表層的要因というべきものであって、もっと根本的問題が横たわっていたようにも思いますが、これはまだよく煮詰まっていないので、書く勇気はありませんでした。

 

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