三人だけではなく、さらに何人かの忘れがたき女流歌人も、すぐれた歌を詠むためにみずから進んで不幸と苦難を希求しているように思われてなりません。もちろん、この不幸と苦難というのは凡人が見立てるところであり、世俗的という意味であって、彼女たちが住む理想の精神的世界では、不幸や苦難どころか至福であり、悦楽だったにちがいありません。いずれにせよ、すべては歌のためだったというのが私見です。
『みだれ髪』以後、晶子が大きく羽ばたいていくのに反比例するように、鉄幹は輝きを失っていきました。「晶子の夫」になっていきました。もちろん、晶子は鉄幹の才能を信じていました。そのあたりの心理を、お聖さんは実にうまく表現しています。
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