鉄幹の男性的魅力と文学的思想に惹かれたためですが、晶子にはあえて幸福を捨てるという強い決意があったように思われてなりません。それはひとえに、すぐれた歌を詠むためだったのではないでしょうか。居心地のいい生活からは、けっして生まれなかったのです。
晶子は幸福をみずから断ったのです。苦難をすすんで求めたのです。すべては短歌のためでした。親が勧める手代の定七と結婚すれば、幸福は得られたでしょうが、『みだれ髪』は生まれなかったでしょう。それは晶子の弟子ともいうべき三ヶ島葭子よしこや岡本かの子にも、うかがわれるのではないでしょうか。
今にして人に甘ゆる心あり永久とわに救はれがたきわれかも 葭子
むづかゆく薄らつめたくやや痛きあてこすりをば聞く快さ かの子
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