2022年9月18日日曜日

与謝野晶子私論14

『文壇照魔鏡 第壱 与謝野鉄幹』が下品なシロモノだったとはいえ、鉄幹にまったく非がなかったわけではないでしょう。さすがのお聖さんも、そのなかの数箇条については、「それらはみな事実であるが、書きようによってはスキャンダルになるもの」と言わざるを得ませんでした。

しかし心やさしいお聖さんは、なぜ鉄幹がそうなったのか、文学的情熱から解釈し、心理的側面から丁寧に解き明かそうとしています。なるほどそういうことだったのかと腑には落ちますが、なぜあんなに女性の心を燃え上がらせることができたのかという疑問は、最後まで残ったのでした。

 ヤジ「結局はただうらやましいだけなんじゃ~ないの?」

 

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