2022年9月17日土曜日

与謝野晶子私論13


 これを書いたのは、小説家の田口掬汀だといわれているそうです。掬汀は美術評論家でもあり、美術史業界では美術雑誌『中央美術』を創刊し、鏑木清方、吉川麗華、平福百穂らを誘って美術団体「金鈴社」を結成したことでよく知られています。

掬汀は秋田の出身、同県人の饒舌館長は鉄幹と晶子に対し、今さらですが深くお詫びしたいと存じます――秋田を代表して(!?) 

当時、秋田出身の佐藤義亮が立ち上げた新声社があり、『明星』を刊行する鉄幹の東京新詩社と覇を競っていました。おそらく地縁から、掬汀はこの新声社に入ったのです。実際に書いたのが掬汀だったとしても、このような文学界の覇権争いが背景にあってのことでしょう。

新声社はのちに現在の新潮社に発展しました。角館にある新潮社記念文学館は、その資料を広く公開する施設で、秋田県立近代美術館ディレクター時代、お邪魔したことを懐かしく思い出します。

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