とはいえ興味深いのは、斎藤月岑が編集した『武江年表』の記事です。弘化4年の条をみると、「3月3日より、西新井弘法大師開帳」と書いてあるじゃ~ありませんか。もともとは大絵馬であったとも推定されている「弘法大師修法図」も、このとき広くお披露目されたのではないかといった想像もわいてきます。
弘法大師が大きな経巻を捧げ持ちながら、左側から襲いかかろうとする痘瘡の大きな赤鬼を調伏しようとしています。しかしなぜここに、右側の木にまとわりつくような犬が登場するのでしょうか?
僕のみるところ、 繭山龍泉堂本とMOA美術館本は 同じ11世紀でも 、 前半と後半に分かれるのではないでしょうか。 なお、この種の遼陶は もともと 中国で 皮嚢壷あるいは仿皮嚢壷と呼ばれ ましたが、上部の取 っ 手部分が鶏 のトサカ に似 ている ため、日本で鶏冠壷と称 す...
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