初世並木五瓶の「月花のたはみこゝろや雪の竹」という句を、抱一が書写したもので、寛政8年(1796)の年記があり、この年抱一によって「庭柏子」号が使われ始めたことを証明する、とても重要な碑でした。
僕が調査カードをとっていると、近くで数人の学生が熱心に拓本を採っているじゃ~ありませんか。聞いてみると、早稲田大学美術史の学生たちでした。あぁ秋艸道人のすぐれた伝統はまだ生きていたんだと、深く心を動かされました。
東大では拓本採取を勧められたことも、その方法を学んだこともなかったので、とくに印象深かったのかもしれません。だからといって、その後僕がみずから拓本を採るようになったというわけじゃ~ないんですが……(笑)
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