菱川宗理の事跡については、かつて追悼の辞を捧げた永田生慈先生が「宗理考」(『國華』1062号)において明らかにしていますが、それによると文政元年(1818)ごろ没したようです。
「娘に猿図」には狂歌師・鹿都部真顔[しかつべのまがお]が「振袖をなぶるは何か見しきゝし人にいはざるやうにたしなめ」という狂歌賛を加えています。仏教における重要な三つ要素を三匹の猿に託して教えた伝教大師の見ざる・聞かざる・言わざるをもじって、娘の秘めた恋をからかっているようです。
これにならって有名な画題「猿猴捉月」ならぬ「猿猴捉裾」から解釈することもおもしろいでしょう。水に映る月影と女性の美しさは所詮はかないものだという寓意であるというのが、饒舌館長の独断と偏見です( ´艸`)
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