2020年3月22日日曜日

島尾新『水墨画入門』2



こういう芸当ができるのは、島尾さんにとって、水墨画が単に眺めたり考えたりする対象ではなく、骨肉化しているからです。画論を読んで机上の空論を組み立てるだけじゃ~ありません。作品を見て、印象批評を述べるだけじゃ~ありません。
「おわりに」には、「『画けない』私が、技法や画材についてある程度のことを書けるのは、さまざまな場を通じてお知り合いになった画家と書家の方々、そして広島・熊野町、越前和紙の中心地・今立や、墨作りの奈良などの、文房四宝の制作者のご教示のお陰である」と書かれています。

島尾さんはこれらの方々と親しく交流されていらっしゃいますが、これなくして「骨肉化」はなかったでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

追悼シンポジウム「高階秀爾館長と大原美術館」8

  尊敬して止まぬ文人画家・祇園南海が「五老峰図」を描いたとき、李白の「廬山の瀑布を望む」を心に浮かべていたことは指摘するまでもありません。しかし、五老峰から一望千里の風景を写生する虎次郎の頭上にも、李白が降臨したことでしょう。僕は李白の絶唱を中国語でつぶやくように暗唱しながら、...