僕がどうしても銭塘江を見たいと思ったのは、愛して止まない文人画家・池大雅に「西湖春景・銭塘観潮図屏風」(東京国立博物館蔵)という大作があるからです。微光感覚の画家・与謝蕪村に対して、陽光の画家とたたえたい大雅の傑作中の傑作です。絵画として造形としてすぐれていることは言うまでもありませんが、大雅の中国文化に対する強い憧憬を読み取りたい誘惑に駆られます。
もちろん鎖国日本のなかで生活していた大雅は、中国に出かけて銭塘潮を見ることは叶いませんでした。しかし、この劉禹錫が詠んだ七絶や白楽天の「江南を憶う」などは知っていたことでしょう。
渡部さんによると、銭塘潮を詠んだ漢詩は、宋の柳永「望海潮」、陳師道「観潮」、明の張輿「江潮」、高啓「呉越紀遊」、清の朱芹忠「銭塘懐古」など、たくさんあるそうです。大雅はこのような漢詩に淅江地誌か何かで見た銭塘江の真景をない交ぜにして、「銭塘観潮図」を描き出したにちがいありません。
僕は銭江大橋の上に立って、「あぁ 俺はいま大雅に成り代わって銭塘江を眺めているんだ!」と、悦に入ったものでした。
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