2019年1月8日火曜日

謹賀新年8


 先に、「王安石は下戸だったらしく、『中国詩人選集』に将進酒のような詩は一首もありません」とアップしました。そのあとで、「田能村竹田の勝利」を書いたときに読んだ三浦國雄さんの『王安石 濁流に立つ』(中国の人と思想7 集英社 1985)に、王安石が下戸であったことを証するエピソードがあったような気がして、もう一度読んでみたところ、やはりありました。その一節を引用しておくことにしましょう。

三十代半ばになり、地方官から京師に呼び戻され、群牧司判官(軍馬をつかさどる役所の属官)を拝命したときのことである。ある日、群牧司の役所の庭に牡丹がみごとに咲いたので、長官の包拯[ほうじょう]が主宰して花見の宴が張られた。同僚となった司馬光も招かれた。司馬光はがんらい酒を好まなかったが、長官から勧められると無理して飲み干した。ところが同じく下戸であった安石は頑として拒み通し、お開きになるまでついに盃を手にしなかった。ちなみにこの包拯、すなわち包公はのちに民衆のあいだで名裁判官として人気を博し、彼を主人公にした『龍図公案』はわが国の大岡裁きの種本である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「NEGORO」14

  一般的に胎蔵界曼荼羅は現象界の「理」を、金剛界曼荼羅は精神界の 「 智 」 を表わし、両界曼荼羅として「理智不二 ふに 」の密教的世界を 具現すると考えられています。しかし 誕生地のインドはともかく、 少なくとも 両界曼荼羅が陰陽思想と結びつけられた中国、それを受け入れた日本...