また、こんな話もある。蘇州で知事をしていた友人の劉攽[りゅうはん]に招待され、州の役所に出かけたときのことである。庭にずらりと居並ぶきれいどころを見た安石は顔色を変え、席に着こうとしない。あわてた劉攽が妓女たちを引き取らせ、「車と舟は焼きました」と言ったので、やっと安石は機嫌を直したというのである。友人の心尽くしも安石には通じなかったわけである。
なお、この劉攽は長安の妓女と浮き名を流したこともあった。当時の士大夫としては、むしろそのほうが普通なのだった。
第 3 回、(明治) 35 年 4 月には、(山中)古洞が、(幸田)露伴の「二日物語」を、私(清方)が、(尾崎)紅葉の「金色夜叉」を、これは二人が申合せて製作出品した他に、江戸時代文学を全員の課題に撰んだ。英朋の「梅ごよみの米八」、(河合)英忠の「浮世風呂」、(福永)耕美の「膝...
0 件のコメント:
コメントを投稿