また、こんな話もある。蘇州で知事をしていた友人の劉攽[りゅうはん]に招待され、州の役所に出かけたときのことである。庭にずらりと居並ぶきれいどころを見た安石は顔色を変え、席に着こうとしない。あわてた劉攽が妓女たちを引き取らせ、「車と舟は焼きました」と言ったので、やっと安石は機嫌を直したというのである。友人の心尽くしも安石には通じなかったわけである。
なお、この劉攽は長安の妓女と浮き名を流したこともあった。当時の士大夫としては、むしろそのほうが普通なのだった。
これは僕の独断と 偏見ではありません。妄想と暴走でもありません。玉堂みずから、『奥多摩雑稿』の「三日月」と題する随想のなかで、つぎのように述べているからです。じつに 昭和天皇が戦争終結の詔書を放送する 5日前、昭和20年8月10日に書かれた文章です。 旧仮名を新仮名に直して...
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