そんなことを思いながら、「平凡社ライブラリー版あとがき」へと読み進めば、さらにはっきりと渡辺さんは語っているのです。
私はたしかに、古き日本が夢のように美しい国だという外国人の言説を紹介した。そして、それが今ばやりのオリエンタリズム云々といった杜撰な意匠によって、闇雲に否認さるべきではないということも説いた。だがその際の私の関心は自分の「祖国」を誇ることにはなかった。私は現代を相対化するためのひとつの参照枠を提出したかったので、古き日本とはその参照枠のひとつにすぎなかった。
これを読むとき、さらに心は深く動かされます。平川祐弘さんの「解説――共感は理解の最良の方法である」によると、渡辺さんは「九州に住む在野の思想史家」で、「学問世界の本道を進んだ人ではない」そうですが、今の言葉でいえば、インディペンデント・スカラーと呼ぶべき、偉大な思想家だと思います。むしろ学問世界の本道を自認しているような東京や、京都からも距離を置くインディペンデント・スカラーゆえに、このような独創的視点と思想が生まれたのでしょう。
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