2018年3月4日日曜日

渡辺京二『逝きし世の面影』5


あるいは、乞食の有無という問題も、欧米人の興味を掻きたてたそうです。日本に乞食はいないという言説が流布していたからです。そんなことがあるはずもなく、当時の日本に乞食がいたことは事実です。しかし、例えばかのケンペルがいう「乞食」とは、今日的な意味での乞食ではなく、正しくいえば遊行する人々であって、お伊勢詣や巡礼、比丘尼、山伏、旅芸人が含まれていると、渡辺さんは見抜いてしまうのです。

いずれにせよ、徳川期の乞食は、欧米人観察者が故国で知っていた工業化社会における乞食とは、異なる社会的文化的文脈に属していたと、渡辺さんは考えています。これだけでもホッとした気持ちになりますが、渡辺さんは次のような疑問に対する回答として、日本人の親和と礼節という話を始めるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

出光美術館(門司)「琳派の系譜」9

   ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...