「老」は生きる喜びそのものです。「老」を忌み嫌い自身から遠ざけてしまっては、いたずらに若さを消費するだけの生き方になってしまいます。それでは生命の躍動を真に実感することはできません。
「老」は生きる喜びそのものです。「老」を忌み嫌い自身から遠ざけてしまっては、いたずらに若さを消費するだけの生き方になってしまいます。それでは生命の躍動を真に実感することはできません。
昼食のあと、隣にある日清講和(媾和)記念館を初めて拝見しました。先日、東京国立博物館「江戸☆大奥」展をエントリーしたとき、「僕の一点」に選んだ楊州周延ようしゅうちかのぶの近代浮世絵シリーズ「千代田城の大奥」が改めて思い出されました。日清戦争と「千代田の大奥」の年代がピッタリと重なっているからです。もちろん偶然でしょうが、偶然には必ず意味があるというのが持論です( ´艸`)
そして日本全権・伊藤博文や清国使節・李鴻章の墨痕淋漓として筆致流麗なる書幅をながめていると、やはりあのころの政治家はすごかったなぁ、それに比べて現代の政治家は何たることだと思われてくるのでした。
ヤジ「そのころの学者もすごかったぞ。それに比べて現代の学者は何たることだ!!」
富士山は日本の象徴です。日本文化の中核です。日本美の精髄です。パクストクガワーナとたたえられる平和な江戸時代の天才的な画家たちが、それをモチーフにしないはずはありません。彼らが覇を競った百花繚乱の江戸絵画史から、「饒舌館長ブログ」でお馴染みの河野元昭氏がベストテンを選んで、その魅力を語り尽くします。
「饒舌館長ブログ」はこちら
https://jozetsukancho.blogspot.com/
◆講師
河野 元昭氏(出光美術館理事、東京大学名誉教授)
日本の美術史学者。元静嘉堂文庫美術館館長。東京大学名誉教授。秋田県立近代美術館名誉館長。出光美術館理事。美術専門誌『国華』前主幹。元学校法人二本松学院京都美術工芸大学学長。
| 日時 | 2026年3月7日(土) 14:00~15:30 |
|---|---|
| 申込について ①会場聴講 | 申込期間:12月15日(月)〜2026年1月23日(金) 半蔵門ミュージアム3階ホールでの聴講ご希望の方 ※2月12日(木)までに受講証をメールにてお送りする予定です。 なお、申込多数の場合は、抽選とさせていただきます。 |
| ②オンライン聴講・アーカイブ配信 | 申込期間:12月15日(月)〜2026年3月6日(金) ご自宅などから聴講ご希望の方、アーカイブ配信ご希望の方 ※【アーカイブ配信】が、3月14日(土)終日までございます。 当日はパソコン、スマートフォン、タブレット端末からYouTube Liveでご聴講いただきます。 |
| 申込方法 | 準備中 |
| 対象 | 中学生以上 |
| 参加費 | 無料 |
| お問合せ先 | イベント事務局 |
| 電話番号 | 090-9544-9572 【受付時間】10時~18時 ※土日祝日、12月27日(土)~1月7日(水)を除く |
| Eメール | event@faith-web.net |
ザヘラ・モハッラミプール『<東洋>の変貌 近代日本の美術史像とペルシア』
コシマキにあるとおり、「近代日本において歴史像が刷新されるなかで、『東洋』は拡大・変容していった」ことを論証した「挑戦作」です。イランに生まれて日本へ留学し、10年ほどで東京大学から博士号を取得したモハッラミプールさんの才能と努力を心からたたえたいと思います。個人的見解を抑えて、客観的記述に専念した研究態度にも感を深くします。構造主義的研究のみごとな成果です。
僕は『國華』でもエジプト美術を扱うべきだと主張してきましたが、本書の中核的研究対象である伊東忠太も、「東洋」にエジプトを含めていた事実を知って快哉を叫びたいような気持ちになりました。一方、僕が信じているギリシアもしくはヘレニズム文明東漸説は、一つの解釈であり言説に過ぎないことを思い知らされました。
40年前、名古屋から逗子に引っ越したとき、とてもよく働いてくれた運送会社の男性は異国の人でした。「どこのお国?」と訊くと、「ペルシアです」とこたえてくれたので、いまも強く印象に残っています。本書によると、もともとこの国の名称は、自国語ではイラン、外国語ではペルシアでしたが、1935年イランに統一されたそうです。しかしこの男性は、あえて「ペルシア」を使ったのでしょう。日本では正倉院と結びつくペルシアの方が、ウケもいいにちがいありません。
なお、本書が鹿島美術財団出版助成を受けて出されたことも、ぜひ書いておきたいと思います。
今や銘酒「猿喰1757」もネットで買えますが、何といっても「美術品は所蔵館で 地酒はその土地で」です!!――ミミタコかな(笑)
翌日は河合さんの講演を拝聴したあと春帆楼へ……。春帆楼は明治20年(1887)創業の割烹旅館で、ふぐ料理公許第一号店となったそうです。しかし一般的には、明治28年(1895)、日清戦争のあと日清講和条約(下関条約)が締結された談判場として有名ですね。古い建物は戦災に遭い、その後紆余曲折を経て、現在は株式会社春帆楼が運営しているそうです。
その昼食の席で、出光美術館(門司)友の会を早くに立ち上げ、ずっと応援していただいている、明るく素敵なレディ八坂和子さんから、愉快な思い出話をたくさんお聞きすることができました。お陰で胃液の分泌がすごくよくなったのでした( ´艸`)
現代最高の和歌研究者・久保田淳さん渾身の一書がまた世に出ました!! 「日本人をとらえる百の歌の宴」(コシマキ)です!! 文庫本とはいえ532頁――ハナから通読はあきらめて、好きな一首から拾い読みしていくのがおススメです。近世の四大注釈書を駆使した久保田さんの「解釈」に魅了されます。
「僕の一首」は、大江千里おおえのちさとの「月見れば千々に物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」ですね。この一首は白楽天の「燕子楼」という詩によったと言われていましたが、賀茂真淵が和歌に中国の故事を引くなど素人のやることだと批判すると、今度は香川景樹が真淵を論難したというのです。
はじめて知りましたが、日中文化交流問題の観点からも、じつに興味深く感じられました。久保田さんの指摘するとおり、「『月見れば』の歌は、さして深みのある作とは言えないかもしれない」のですが、深みのない人間である僕は大好きな一首です😅
これまた大好きな明・唐寅が詠んだ「酒を把りて月に対する歌」に愉快な月――大江千里とは対照的な月が出てくるので、マイ戯訳で紹介することにしましょう。
李白生れる以前から もともと月は存在し
単に李白がそこにいて 吟じただけだ かの名詩
今や李白はもうすでに 仙人と化し冥界へ……
蒼穹にある月だけが 何度も満ち欠け繰り返す
今なお李白の名吟を 暗唱している現代人
十五夜迎えりゃ月もまた 李白の時代とおんなじだ
俺は李白を学びつつ 輝く明月眺めてる
だけども月は李白など 認知しているはずがない
李白は天才詩人だが また天才的酒仙なり
現代詩人のこの俺も 百杯飲めば千首でき……
李白のような才能が チョットないのを恥じるけど
俺の非才をお月さん 馬鹿にしているはずがない
俺も絶対乗るもんか 皇帝殿下の豪華船
俺も惰眠をむさぼらず 花の都の宮廷で
蘇州の田舎のちっぽけな ボロ家に住んでる俺だけど
囲む樹木に桃の花 空にゃ李白の名月が……
そのあと二次会へ。最近、寄る年波で二次会は遠慮することが多いのですが、今回はどうしても顔を出したかった――ここの二次会は「江戸政」(℡093-331-9398)というお寿司屋さんに決まっているからです。
「江戸政」は門司にいらしたら、ぜひおススメしたいお店ですね。すべて美味しく👍ですが、僕のイチオシは自家製の「アミ漬け」です。これで地酒の「猿喰さるはみ1757」(溝上酒造)をやったら、もう堪りません!!
このチョッと変わった酒名の由来は……。江戸中期の宝暦7年、つまり1757年、石原宗祐という庄屋さんが飢饉を救うため私財を投げ打ち、猿喰湾の干拓に挑みました。艱難辛苦の末、ついに猿喰新田が完成、16年後には美味しい猿喰米が収穫できるまでになりました。その猿喰米を醸したお酒が「猿喰1757」なんです。
最近、傅益瑶さんと知り合いました。傅益瑶さんは僕も大好きな傅抱石画伯のお嬢さんです。1979年日本へ留学し、東京藝術大学で平山郁夫先生に師事されました。やがて水墨画を中心に大寺院の障壁画を製作するとともに、日本のお祭りをライトモチーフに選び、また芭蕉や一茶の俳句をイメー...