しかし何かサブタイトルが欲しいですね!! 饒舌館長だったら、「徳川家光・鷹司孝子結婚400年記念」と銘打ちます。鷹司家から出た孝子が、のちの3代将軍家光と婚姻を結び正室になったのは1625年、今年はその400年という節目の年に当たっているからです。もっとも孝子は家光との関係がこじれたため、ほどなく別居状態となり、大奥からも追い出されて城内の別邸で暮らしたそうですから、サブタイトルにはあまりふさわしくないかな( ´艸`)
「僕の一点」は楊洲周延(1838~1912)の「千代田の大奥」ですね。楊洲周延は初め歌川国芳、三代歌川豊国に就いたようですが、豊原国周の門に転じで「周延」の号を与えられていますから、国周の弟子というべきでしょう。
追記 今朝、森銑三先生の『偉人暦』を読んでいたら、今日9月2日は徳川14代将軍家茂に降嫁された和宮親子内親王の祥月命日であることを知りました。明治10年の今日、32歳でお亡くなりになったのです。森先生は「あの危難の時に当って、徳川家の大奥が些かの動揺を見なかったのは、一に宮のお力であったのだ」とお書きになっています。