2025年9月2日火曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」4

しかし何かサブタイトルが欲しいですね!! 饒舌館長だったら、「徳川家光・鷹司孝子結婚400年記念」と銘打ちます。鷹司家から出た孝子が、のちの3代将軍家光と婚姻を結び正室になったのは1625年、今年はその400年という節目の年に当たっているからです。もっとも孝子は家光との関係がこじれたため、ほどなく別居状態となり、大奥からも追い出されて城内の別邸で暮らしたそうですから、サブタイトルにはあまりふさわしくないかな( ´艸`)

「僕の一点」は楊洲周延(18381912)の「千代田の大奥」ですね。楊洲周延は初め歌川国芳、三代歌川豊国に就いたようですが、豊原国周の門に転じで「周延」の号を与えられていますから、国周の弟子というべきでしょう。

追記 今朝、森銑三先生の『偉人暦』を読んでいたら、今日9月2日は徳川14代将軍家茂に降嫁された和宮親子内親王の祥月命日であることを知りました。明治10年の今日、32歳でお亡くなりになったのです。森先生は「あの危難の時に当って、徳川家の大奥が些かの動揺を見なかったのは、一に宮のお力であったのだ」とお書きになっています。

 

2025年9月1日月曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」3


ですからドラマ10「大奥」で用いられた衣装が展示され、これまたドラマでお馴染みになったという「御鈴廊下」のセットが再現されてメダマの一つになっていました。ドラマ108代将軍・徳川吉宗役をつとめた冨永愛さんが、音声ガイドナビゲーターを買って出ているのもコラボ展だからなのでしょう。

ちなみに冨永愛さんが吉宗を演じたのは、このドラマが、よしながふみさんのマンガ「大奥」をもとにしているからです。このマンガが男女逆転という意表をつく構成によって大ヒットしたことは、改めていうまでもないでしょう。

しかし表向きコラボ展であることをどこにも謳っていないのは、放映からチョッと時間が経ってしまったからなのかな? アヤメやキクを優雅に観賞していた大奥の女性たちから、「6日のアヤメ、10日のキクじゃないの」と笑われることを恐れたのかな´艸`) 

 

2025年8月31日日曜日

追悼シンポジウム「高階秀爾館長と大原美術館」1

 


柳沢 秀行さんゟ

高階先生を、一周忌に偲びます。
登壇するのは、ゆかりの深い河野元昭先生、ARKO最初の招聘者である津上みゆきさん、三浦篤大原美術館館長。
そして、柳沢です!
でも会場みんなで作る時間にしたいです!
【日時】2025年10月17日(金) 17:30-19:30
【会場】倉敷公民館 大ホール
【参加定員】350名
【参加費】無料
【参加申込】当日先着順

東京国立博物館「江戸☆大奥」2

 いま東京国立博物館の平成館では、特別展「江戸☆大奥」が開催中です。昨日アップしたのは、2つ折りリーフレットのリードです。この「知られざる大奥の真実」というのが本展の基本的コンセプトであることはよく分かりましたし、リーフレットにも大きく「――そろそろお話しましょうか。わたしたちの真実を」という口語体キャッチコピーが印刷されています。しかしどうしてそれが今年なのかなぁと思いつつ会場に入ると、なるほどと腑に落ちました。

僕は知りませんでしたが、一昨年NHKドラマ10「大奥」が放送され、大変な人気 を集めたらしいのです。つまり先日ポストした「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」展と同じく、東京国立博物館とNHKのコラボ展なんです。

 

2025年8月30日土曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」1

 

東京国立博物館「江戸☆大奥」<921日まで>

現在の皇居には、かつて大奥が存在した江戸城の本丸、二の丸、西の丸があったことをご存じでしょうか。一見、華やかに見える将軍の後宮、大奥。歴代の御台所(正室)と側室、その生活を支える女中たちの歴史には、徳川将軍家という大きな権力の狭間に生きてきた女性たちの栄枯盛衰が見えてきます。
 その一方、壁書や女中法度などの規則に縛られ、閉ざされた生活の中で、大奥の女性たちはそれぞれの人生における喜怒哀楽を享受してきました。娯楽小説や芝居、ドラマなどで描かれてきた想像の世界とは異なる、知られざる大奥の真実を、遺された歴史資料やゆかりの品を通してご覧いただきます。

2025年8月29日金曜日

富士山世界遺産センター「日本三霊山の砂防」5

さらに「逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも」というバージョンもあるそうです。つまり「あの子と逢う間の短さは玉の緒ほどにも及ばないのに、別れて恋しいことは、富士の高嶺に降る雪のように絶え間ないよ」となりますが、これじゃ~本展示とまったく関係なき一首になってしまいます。

中西さんによると、鳴沢は水流のとどろく沢の意で、西湖さいこの南の鳴沢とする説と、落石のとどろく大沢とする説があるそうです。しかし激しさの比喩なら、大沢の方がふさわしいように思われます。もちろんこの展示でも後者の説を採用、大沢崩れの荒々しい姿と激しい恋心を重ね合わせた歌とみなし、江戸時代の「参詣絵巻 富士山真景之図」を掲出して視覚効果を高めてありました。

鳴沢にしろ大沢にしろ、こういう情熱的恋歌を60年前に詠んでみたかったなぁ(´艸`)

 

2025年8月28日木曜日

富士山世界遺産センター「日本三霊山の砂防」4

 

 富士山も古代から崩壊崩落を繰り返してきたそうです。それを示唆する最古の和歌が、『万葉集』に収められる「さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと」であるとのこと、帰ってからさっそく中西進さんの全訳『万葉集』を開いてみました。

これは巻14「相聞」に収められる駿河国の歌五首のなかの一首です。民衆が恋愛感情を歌った集団歌ですから、もちろん「詠み人知らず」です。かくのごとく国別に庶民の詩歌を採録するのは、きっと中国最古の詩集『詩経』の「国風」にならったのでしょう。

中西さんは「共寝することは玉の緒ほど短く、別れて恋しいことは富士の鳴沢のようにはげしいことよ」と訳しています。もっとも別本には「ま愛いとしみ寝らくはしけらくさ鳴らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ」とあるそうです。これなら「いとしく思って共寝することはわずかで、人の噂は伊豆の高嶺の鳴沢のようにとどろくよ」となりますが、前者の方がストレートかつ『万葉集』らしくっていいですね。

東京国立博物館「江戸☆大奥」4

しかし何かサブタイトルが欲しいですね !!  饒舌館長だったら、「徳川家光・鷹司孝子結婚 400 年記念」と銘打ちます。鷹司家から出た孝子が、のちの 3 代将軍家光と婚姻を結び正室になったのは 1625 年、今年はその 400 年という節目の年に当たっているからです。もっとも孝子...