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2024年7月31日水曜日

出光美術館「日本・東洋陶磁の精華」4

 

三上次男氏が「これを眺めていると、東部内モンゴルに波のように広がる草原の情景と、その野を埋め尽くす初夏の草花群の美しさが、髣髴として眼前に浮かび上がってくる」と褒め称えた長頸瓶――私もかつて遊んだ希拉穆仁シラムレンの草原を思い出さずにはいられない。黄瀬戸は黄釉であるけれども、基本的に共通する手法を採っている。当時、このような遼陶がわが国へもたらされていたかどうか問題だが、ここではその一致を指摘しておきたい。

 1997年秋、愛知県陶磁資料館(現愛知県陶磁美術館)で特別展「遺跡にみる戦国・桃山の茶道具」が開催され、これを記念してシンポジウムが行なわれました。そのとき僕は「桃山陶の意匠」なる口頭発表を試みましたが、その美濃陶に関する部分を増補して活字化したのがこの拙論です。準備の段階で、三上次男編『世界陶磁全集』13(小学館 1981年)のカラー図版をパラパラめくっていると、この「白地緑彩草花文長頸瓶」が目に飛び込んできたんです。


2024年7月30日火曜日

出光美術館「日本・東洋陶磁の精華」3

 

代表的作例として「黄瀬戸大根文輪花鉢」(重要文化財)を見てみよう。見込みには実に生き生きした線で、大根が線彫りされている。葉のリズム感豊かな線、そして根の部分の伸びやかで張りのある線は、筆では表現できないものである。縁に輪花の鐔つばをつけ、そこにも線彫りで丁子と花を描き、簡単な唐草文を加えている。()

線刻模様に緑釉を加えることは、わが国では黄瀬戸に始まるわけであるが、中国陶磁にまで視野を広げてみると、よく似た作品があることに驚かされる。たとえば遼(11世紀)乾瓦窯の「白地緑彩草花文長頸瓶」である。砂質の胎土に白釉をかけ、草花文を線刻で表わし、そこに緑釉を濃く薄く大胆に加えている。


2024年7月29日月曜日

出光美術館「日本・東洋陶磁の精華」2

 

僕は缸瓦窯のことを「乾瓦窯けんがよう・かんがよう」と記憶してきましたが、中国ウィキペディア「維基百科」で「缸瓦窯」を調べると、「日本人訛あやまりて『乾瓦窯』と作す」と出てきます(!?) 「僕の一点」に選んだ理由は、かつてこの長頸瓶を「桃山美濃陶試論」(『美術史論叢』17号 2001年)という拙論に使ったことがあるからです。その一節を紹介させてもらうことにしましょう。

古瀬戸釉のうち朽葉色の釉を特色とする黄瀬戸のなかでも、特に注目されるのは具象的文様や抽象的意匠を線彫りにし、それに銅緑釉、いわゆる胆礬たんばんをかけた作品群である。これを桃山以前に焼成された黄瀬戸、たとえば「黄瀬戸茶碗」や「黄瀬戸天目茶碗」と比較するならば、装飾的効果が飛躍的に高まっていることがわかるであろう。


2024年7月28日日曜日

出光美術館「日本・東洋陶磁の精華」1

出光美術館「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅢ 日本・東洋陶磁の精華――コレクションの深まり」<825日まで>

 すでにお知らせしましたように、出光美術館は帝劇ビルの建替え計画にともない、今年の12月をもって、しばらくのあいだ休館することになりました。皆さまを出光ギャラリーにお迎えする最後の1年は、4つの企画展によって出光コレクションの推し作品(!?)を鑑賞していただいています。

その第3弾は「日本・東洋陶磁の精華――コレクションの深まり」です。出光美術館日本・東洋陶磁コレクションは、創設者・出光佐三氏の審美眼に端を発するものですが、今やもっとも重要なジャンルを形成するに至っています。

 「僕の一点」は「白地緑彩草花文長頸瓶」ですね。中国・遼時代の缸瓦窯で焼成された作品です。缸瓦窯は内モンゴル赤峰せきほうにあった窯で、「こうがよう」とも「かんがよう」とも呼ばれているようです。 

2024年7月27日土曜日

東京国立博物館「神護寺」7

 

古川さんは神護寺薬師をもともと神願寺の本尊であったという説に立っているようですが、神願寺が宇佐八幡神の神託によって建立された寺院であったことを特筆大書されているのです。僕は拝読して快哉を叫びたいような気持ちになりました。

神護寺薬師は弘仁貞観時代を象徴する仏像です。もっとも最近、なぜか「弘仁貞観時代」はまったく使われなくなり、「平安時代前期」などという味も素っ気もない名称になっちゃっています。

しかし尊敬する蓮実重康先生には、『弘仁貞観時代の美術』(東京大学出版会 1962年)というすぐれた編著書があります。『広辞苑』だって、チャンと「弘仁貞観時代」という項目を立てています。時代区分には無味乾燥なる「平安時代前期」なんかじゃなく、美しい響きをもつ「弘仁貞観時代」を用いるべきです!!

 ヤジ「そういうのを時代区分じゃなく、時代錯誤というんじゃないの!?


2024年7月26日金曜日

東京国立博物館「神護寺」6

 

僕のいう日本美術の素性である素材主義を、ここにも見出すことが可能でしょう。これを伊勢神宮の白木建築まで引っ張っていけば、チョッとやりすぎかもしれませんが……。

しかし自然や風土まで持ち出してくれば、まったく無関係ともいえないでしょう( ´艸`) 霊木彫刻や立木仏に象徴されるごとく、素材と精神は表裏一体の関係に結ばれています。とくに自然崇拝やアニミズムが強い我が国では、当たり前田のクラッカーです(!?)

この神護寺薬師を語るとき、僕は以上の美意識と彫刻史と宗教の3点から考えてきました。内覧会では、この神護寺薬師のお顔を大きくクローズアップした260ページの大カタログを頂戴しました。その巻頭論文は、チーフキューレーターをつとめた古川摂一さんの「神護寺の歴史と高雄曼荼羅」という力作です。

テーマの中心はこれまた神護寺が誇る紺紙金銀泥絵「両界曼荼羅」、いわゆる「高雄曼荼羅」ですが、古川さんは薬師如来立像から説き起こしています。


2024年7月25日木曜日

東京国立博物館「神護寺」5


 この森厳なるお顔が、むしろ神像彫刻を思わせるのは、偶然じゃ~ないと思います。すでに垂迹美術だといえば言いすぎですが、薬師如来のうちに宇佐八幡が宿っているといった感じがします。これは最初に神護寺薬師を拝んだときの第一印象が異常発酵した結果生まれた独断と偏見です。

直感的に慈愛に満ちた仏様よりも、畏怖すべき神様のように感じられたんです。一言でいえば神々しかった――つまり最初から僕にとっては神様だったんです。畏怖すべき尊顔を、武神・軍神・弓矢神として尊崇された八幡神と結び付けたい誘惑にも駆られます。畏怖いふは威武いぶに通じるのかな( ´艸`)

カエルも骸骨も踊り出す サントリー美術館・暁斎ワールドの迷宮へようこそ❣❣❣12

  服部南郭「児の愛する所の猫死す」     長年わが子にな ついてた   子は 焼いて いたキミの世話     少ないおやつを分けてやり   眠るキミ見て安堵した     深き愛ゆえ夢に見て   恩ゆえ埋めるの哀しいと……     だが心配はまたネズミ   傍若無人に今夜から…...