絵金は江戸後期の文化9年(1812)土佐の高知城下、現在のはりまや町に髪結いの子として生まれました。本姓は最終的に(!?)広瀬、通称は金蔵、土佐では絵師金蔵をつづめ「絵金」「絵金さん」と呼ばれて親しまれました。18歳で江戸に出て、表絵師・駿河台狩野家の弟子で、江戸土佐侯山内家の御用絵師であった前村洞和に学びました。
洞和の家塾で修行すること3年、洞意という雅号を与えられました。かの河鍋暁斎と同門ですが、暁斎が洞和に入門したのは10年もあとのことでしたから、二人は会っていないのでしょう。しかし共鳴する自由奔放な美意識をもち、ともに失意の時代を経験している事実は、とても興味深く感じられます。21歳にして郷里に帰った絵金は、土佐藩家老の御用絵師に出世、藩医であった林家の姓を購入して、林洞意と名乗りました。

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