ナクシーは優秀な画家であっただけでなく、占星術師であり、スレイマニエ・モスクで暦術時辰の大切な役をつとめ、また詩人としても傑出していました。同時に挿絵画家として、みごとな作品をたくさん遺しています。当然のことながら、ナクシーはオスマン2世の厚いパトロネージを受けていたのです。以上はトプカプ宮殿博物館のギュッレル・カラヒュセインさんがカタログに寄せた解説のウケウリです(笑)
僕はこのオスマン2世騎馬像を見ながら、我が「足利義尚よしひさ像」(愛知・地蔵院蔵)を思い浮かべていました。狩野正信の彩管になる武人肖像画の傑作です。義尚は東山文化を花開かせた足利義政と、応仁の乱の端緒を作ったといわれる女傑・日野富子の間に生まれました。母富子の力によって室町幕府第9代将軍となりましたが、近江・六角(佐々木)高頼討伐の陣中に弱冠25歳で亡くなりました。
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