2024年7月8日月曜日

追悼 舟越桂さん5

 

この事実を僕は大変興味深く感じるのです。飛鳥時代の木彫像がすべてクス材だからです。この時代を代表する法隆寺金堂の「四天王立像」も夢殿の「救世観音像」も大宝蔵院の「百済観音像」もクス材でできています。

ところが、この時代の仏教彫刻に決定的影響を与えた槿域――僕が好んで用いる朝鮮の雅称――では、むしろ松を使ったように思われます。例えば、同じくこの時代を代表する広隆寺の「弥勒菩薩半跏像」は赤松で作られていますが、これは槿域で作られ、我が国にもたらされたと推定されているのです。

この時代における槿域の木像は、これを除いて残っていませんが、もし松材が中心であったとすると、なぜ日本ではクスになったのでしょうか? それはクスが神の依り代であったからではないでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿

東京美術『日本視覚文化用語辞典』3

  前回、東京国立博物館の特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を紹介しましたが、実をいうと後期高齢者の僕には「コンテンツ」の意味がよく飲み込めませんでした。しかしこの辞典にはチャンと「コンテンツ」という項目があって、簡にして要を得た説明がなされています。しかも「マーシ...