2024年6月13日木曜日

富士山世界遺産センター「合目のハナシ」5

 

この「合目」という数え方は富士山に始まり、これがほかの山にも広がったようですが、日本各地にたくさんの○○富士があることと無関係ではないでしょう。わが国山岳文化の中心には、つねに富士山が存在していたことのエビデンスであるように思われます。

今は富士宮、御殿場、須走、吉田のどのルートも5合目から登るようになっていますが、もちろんかつては1合目から始まっており、その前に登山口がありました。つまり登山口はゼロ合目に当たるわけです。

さらに近代以前は、とくに登山口が決まっておらず、1合目から始まっていたそうです。おそらくこの発端は修験者だったでしょう。登山の目安として、分かり易く10に区分することが修験者のあいだで始められたのではないでしょうか。それが江戸時代に富士講が流行し、富士登山が庶民化するとともに定着していったのではないでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿

追悼 篠山紀信さん3

大嶋さんによると、 2012 年から全国で開催した「篠山紀信 写真力」展は 100 万人を動員したそうです。じつは僕もその 100 万人のなかの一人でした。 2013 年夏、出来たばかりの新秋田県立美術館で開かれた「篠山紀信 写真力」展を見ているんです。もし僕が見なかったら、動員...