有楽斎こと織田長益ながますは天文16年(1547)、織田信秀の子、信長の弟として生まれました。信長、秀吉、家康のもと、武将として活躍し、晩年には京都・建仁寺の塔頭である正伝院を再興、隠棲し茶人としてその名を残します。正伝院内に建てた茶室(如庵)は国宝に指定され、各地に如庵の写しが建てられました。……文化人・有楽斎として名高い一方、武士・長益には悲観的なイメージが付きまといます。天正10年(1582)本能寺の変では、二条御所に籠る主・信忠(信長長男)が切腹した一方、自らは御所を脱出したことから、京の人々には「切腹をすすめておいて、逃げた男」と揶揄されました。
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