2023年12月28日木曜日

日比野秀男『渡辺崋山』9

 

②藤懸静也説(『世界美術全集28』 1930年) 当時土井侯は大阪城代であったので、泉石は家老として付き従っていた。ところがかの大塩平八郎の乱が勃発、泉石らは平八郎を召し取り、その報告ため江戸へ出てきた。そのとき泉石は主君の代理として、浅草・誓願寺にお参りをしたが、帰りがけに崋山の家を訪ねてきた。そこで崋山は画稿を作り、数日後にこの像を完成させた。ちなみに藤懸先生のお母さんは、泉石の孫娘でした。

③吉澤忠説(『國華』765766号 1955年) この作品の年記は天保8415日となっているが、そのとき泉石は大阪に滞在しており、藩主の名代として江戸の菩提寺を参拝することは不可能であった。したがって崋山と泉石はこれ以前に交流があり、そのころスケッチしたものをもとにして、天保8415日に完成させたと推定される。

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