黄山谷はネコ好きだったようです。これも僕が黄山谷を尊敬する理由です(笑) もっとも中国の文人がネコを飼うのは、僕が「タビ」を可愛がったのとはちがって、所蔵愛蔵する本をネズミにかじられないようにするためだったんです。黄山谷の「猫を乞う」をマイ戯訳で……。
この秋 以来ネズミども ネコの逝去をいいことに
お盆で遊ぶわ甕かめの水 飲んで騒ぐわ眠られず
お宅の家ネコ数匹の 子ネコを育てていると聞く
魚うお買い柳で目刺しにし それもて一匹 招聘しょうへいせん
友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社 1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...
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