孔子にしたがえば、詩はとても実用主義的であるのに対し、紀貫之によるところ、和歌は心に感じさせたり癒しになったりする程度で、これといった目的がないんです。もっとも、ナンパするときには役立つといっていますが……(笑)
ここからソク日中の国民性に進むことは危険ですが、『古今和歌集』序に鶯と並べてあげられるほどの河鹿から、「虫めづる日本の人々」を考えることは許されてよいでしょう。コンテクストがちょっと異なりますが、『論語』では「鳥獣」が重視され、「虫魚」は看過されているような感じがします。
原派 2 代目・原在明の「猫に蝶図」(静嘉堂文庫美術館蔵)をこれまた『國華』に紹介し、それをこのブログにアップしたとき書いたように、猫も蝶も中国語の音通で長寿延命を意味するので、よくセットで描かれました。一方、牡丹に猫を添える取り合せも「正午牡丹」と呼ばれる重要な画題となって...
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