多くのジャポニザンが我が国へやってきましたが、日本へ骨を埋めた人はけっして多くありません。ジャクレーが3歳のときお母さんと一緒に日本へやってきたのは、お父さんが東京高等商業学校と、その付属外国語学校のフランス語教官になったという偶然の賜物でした。ジャクレーみずからの意思で日本へやってきたわけではありませんでしたが、やがて日本が大好きになっていったんです。
太平洋戦争が起こると、外国人であるジャクレーは憲兵に監視され、不自由な生活を強いられました。1945年、自分にけっしてやさしくはなかった日本が連合軍に敗北を喫したとき、フランスに帰ろうとすれば容易にそうすることができたでしょう。
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