明治28年(1895)4月から7月にかけ、京都の岡崎で第4回内国勧業博覧会が開催されました。これにあわせて、東京と京都を代表する日本画家に屏風を揮毫してもらい、競演を楽しもうという企画が立ち上がりました。
その経済的後援者になったのが岩﨑彌之助でした。今でいえばスポンサーですが、むしろ古めかしい「施主」という言葉を使いたい誘惑に駆られます。このビッグプロジェクトに対する深い共感が彌之助にあったことは、改めて指摘するまでもありません。東京の画家は、彌之助がみずから選定したというんですから……。
前回、東京国立博物館の特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を紹介しましたが、実をいうと後期高齢者の僕には「コンテンツ」の意味がよく飲み込めませんでした。しかしこの辞典にはチャンと「コンテンツ」という項目があって、簡にして要を得た説明がなされています。しかも「マーシ...
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