2023年3月6日月曜日

三菱一号館美術館「芳幾・芳年」5

「器用貧乏」とは、なまじ器用なために、あれこれと気が多く、また都合よく使われて大成しないこと(『広辞苑』)です。しかし芳幾は「東京日日新聞」(のちの毎日新聞)の創立に携わり、その新聞錦絵で大成功をおさめ、一世を風靡しました。少し扇情的であったとしても、大成したといってよいでしょう。『広辞苑』に定義されるような意味での器用貧乏ではあり得ません。

しかし晩年は文字通り「貧乏」だったわけで、それも元をたどれば芳幾の器用さに原因があったのではないでしょうか。やはり国芳先生の心配は、現実となって現われたといえるように思います。

ヤジ「オマエは何が何でも芳幾を器用貧乏の浮世絵師にしたいようだな!!

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」7

  もっとも慶長 6 年といえば、友松が桂宮家に出入りし始めたころですから、挨拶代わりの自己紹介、ブッチャケていえば売り込み作戦だったかもしれませんが、これは友松のために言わないほうがよかったかな ( 笑 ) 当時智仁親王は弱冠 22 歳、千年の齢を保ちつねに緑を失わないトキ...