アディスさんのもとで日本美術を学ぶ学生であったマシューさんは、シンポジウムの実行部隊長といった感じでした。そのシンポジウムで僕が「俵屋宗達のコンポジションと美術史的意義」と題するつたない発表を行なったことは、以前アップしたことがあったように思います。その発表準備を含めて、何から何までマシューさんにお世話になったのでした。
そして3年後、またアメリカでマシューさんに会う機会が巡ってきたのです。1986年3月~4月の2ヶ月間、スティーブ・アディスさんがカンサス大学のゲストとして僕を招聘してくれたからです。アディスさんはケンタッキー通りの洒落たアパートメントを確保してくれ、そこから毎日大学へ自転車で通いました。
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