このような書物のメリットは、またデメリットともなりました。膨大な情報を比較的安価に長期間保存できるがために、それをすべて理解するためには、これまた膨大な時間が必要となります。下手をすると、理解することが人生最大の目的となり、やがて大きな喜びとなり、みずからの頭で考えることを止めてしまうのです。
とくに、漢字という情報伝達にすぐれた機能をもつ文字を作り出した中国では、長い歴史のなかで、想像を絶するような書物の山が築かれてきました。それを読むだけで精一杯となり、みずから思索する時間がなくなり、やがて完全に止めてしまう風潮が生まれてきました。
僕のみるところ、はじめてそれに異を唱えたのは、明の王陽明だったと思いますが、陽明学が儒学の主流にならなかったのは、やはり書物が本来的にそなえていた魅力が、これまた想像を絶して大きかったからにちがいありません。
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