2019年4月10日水曜日

小林古径が小倉遊亀へ6


もっとも古径は遊亀より40年以上早く、1957年に没していますから、何も知らなかった可能性も残るでしょう。かつて東京大学の「ニュース」でしたでしょうか、何かに書いたような気がしますが、古径は自分が今あるのは、みずからの才能というよりも、周囲の人々のお陰だと述べています。他人を押しのけて我が画名を高めようとするような、卑しい根性の人間ではありませんでした。

このような古径の人柄からみるとき、もし知っていれば、遊亀のためにも「白菜」は彼女の筆になることをおおやけにしたに違いありません。考えれば考えるほど、あっちにいったりこっちにいったり、結論など出るはずもない問題ですが、これは近現代日本美術史のワクワクするようなミステリーですね。「古径遊亀コード」とでも呼んでおきましょうか()

0 件のコメント:

コメントを投稿

東京美術『日本視覚文化用語辞典』3

  前回、東京国立博物館の特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を紹介しましたが、実をいうと後期高齢者の僕には「コンテンツ」の意味がよく飲み込めませんでした。しかしこの辞典にはチャンと「コンテンツ」という項目があって、簡にして要を得た説明がなされています。しかも「マーシ...