もっとも古径は遊亀より40年以上早く、1957年に没していますから、何も知らなかった可能性も残るでしょう。かつて東京大学の「ニュース」でしたでしょうか、何かに書いたような気がしますが、古径は自分が今あるのは、みずからの才能というよりも、周囲の人々のお陰だと述べています。他人を押しのけて我が画名を高めようとするような、卑しい根性の人間ではありませんでした。
このような古径の人柄からみるとき、もし知っていれば、遊亀のためにも「白菜」は彼女の筆になることをおおやけにしたに違いありません。考えれば考えるほど、あっちにいったりこっちにいったり、結論など出るはずもない問題ですが、これは近現代日本美術史のワクワクするようなミステリーですね。「古径遊亀コード」とでも呼んでおきましょうか(笑)
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