2018年5月23日水曜日

京都国立博物館「池大雅」4


その意味では、主知従感の画家だったといってもよいでしょう。誤解を恐れずにいえば、与謝蕪村は主感従知の画家にして俳人でした。

感性がイマジネーションを生み出しやすいことは、指摘するまでもありませんが、知性もイマジネーションの萌芽となることは、文学の歴史が証明しています。

しかし大雅は、日本で生まれ日本で育った日本人でした。いくら「池大雅」と中国風に修したところで、中国人にはなれませんでした。そこに大雅の葛藤があったのではないでしょうか。それが言いすぎなら、アイデンティティを希求しながら歩いていく荒野が、大雅のまえに広がっていたのではないでしょうか。あれほどまでに大雅が富士に執着した事実を、合わせ鏡のように考えてみたい誘惑に駆られるのです。

いつか機会に恵まれたら、「知性の画家・大雅」とか「大雅――知性による想像力」といったエッセーを書いてみたいなぁという思いを強くしながら、「6時閉館」の案内に追い立てられるように、まだ日差しの強い中庭を、七条通りの出口に向かって歩き出したことでした。

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