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2018年2月16日金曜日

鎌近「堀文子展」4


 カタログに付された「堀文子 略年譜」をみると、柴田安子の名前が、少なからず眼に入ります。悲しいことに、堀さんの若いころだけですが……。

1936(昭和11)年 18歳
4月、女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部に入学。春の青龍社展で最上(柴田)安子《めらはど》《女仲士》に、10月の再興院展で小倉遊亀《浴女》に感銘を受ける。

1939(昭和14)年 21歳
6月、第2回新美術人協会展に《原始祭》を出品、初入選。柴田安子《叢林》に感銘を受ける。

1940(昭和15)年 22歳
2月、11歳年上の柴田安子を訪ねる。同年、長野・大門峠の安子の山荘で過ごすなど親交を結ぶ。

1945(昭和20)年 27歳
春、山梨に疎開した柴田安子の世田谷の留守宅に移居する。

1946(昭和21)年 28歳
4月、内田巌、本郷新らが結成した日本美術会に福田豊四郎、柴田安子らとともに参加。
7月、柴田安子没。外交官・箕輪三郎と結婚。

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