2017年10月25日水曜日

サントリー美術館「狩野元信」3


 もちろん日蓮も、彫像を否定したわけではなかった。それどころか、生涯にわたって釈迦立像を持念仏としていた。『大聖人御葬送日記』により確認されるとのことである。平頼綱が松葉ヶ谷の庵室に日蓮を襲ったとき、持仏堂に安置してあった本尊の釈尊を家来に踏ませ、糞泥のなかに投げ込ませたが、これこそまさに日蓮の持念仏だったのであろう。伊豆に流されたときに、日蓮はこれを感得したものとも伝えられる。

檀越のために釈迦立像を開眼供養したことも一再ならずあったらしい。もっとも、大曼荼羅の授与とは比較にならないほど少ないそうだが、ともかくも開眼供養の事実は、「遺文」が明らかにしてくれるところである。

そもそも法華経に、「若し人 仏のための故に 諸々の形像を建立し 刻彫して衆相を成せば 皆已に仏道を成じたり。……或いは膠漆の布を以って 厳飾して仏像を作れる かくの如き諸々の人等は 皆 已に仏道を成じたり」とあるのだから、日蓮が彫像自体を認めないはずはない。

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