つぎの美郷町郷土資料館では、このあたりで出土した縄文土器や、みごとな遮光器土偶――現物は東京国立博物館に寄託しているそうでパネルだけでしたが、それらを拝見しているうちに、かつて『秋田美術』に寄稿した冷や汗ものの秋田縄文論を思い出したことでした。
「名水百選」にも選ばれた美郷町にはかつて40軒以上の造り酒屋があったそうですが、いまやわずかに2軒となってしまっているそうです。この2軒が醸した「奥清水 美郷雪華」と「春霞」を、大原さんご夫妻とともにご馳走になりましたが、前者が芍薬なら後者は牡丹、いずれおとらぬ名醸ぶりでした。
芍薬・牡丹に引っ掛けて、「名嬢ぶり」と書きたい誘惑に駆られますが、「来るものは拒まず去るものは追う」とばかりに痛飲、最後は芍薬と牡丹の区別もつかなくなってしまったことでした(!?)
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