2017年7月9日日曜日

奇美美術館「おもてなし」8



楽器ホール・バイオリン展示エリアの「僕の一点」は、やはりアントニオ・ストラディバリの「バイオリン」です。世にストラディバリはたくさんあるわけですが、奇美美術館の一丁は1709年に制作された正真正銘のストラディバリ、旧所有者にちなんで「マリー・ホール-ヴィオッティ」の愛称が捧げられています。

チェロ、ビオラを含めて名器は数知れず、それらを許文龍さんはすぐれた演奏家に貸与しています。台湾を代表する若きバイオリニスト曽宇謙のCD「夢幻楽章」をおみやげにいただきましたが、解説によると、6曲すべて、奇美美術館が所蔵するジュゼッペ・ガルネリ・デルジェスの1732年製名器によって奏でられているそうです。さらに許文龍さんが、豊かな才能を示す若い音楽家の卵にも名器を貸与していることを聞いて、深く心を動かされたことでした。

楽器ホール・その他楽器エリアの「僕の一点」は、1915年のジュークボックスです。先日、「田能村竹田の勝利とエルヴィス・プレスリー」をアップしたとき、ドディー・スティーブンスのアンサーソング「イエス、アイム ロンサム トゥナイト」のレコード・ジャケットにジュークボックスが登場することを書きましたが、これはシックスティーズの話ですよ。それが1915年には、アメリカで作られていたんです!!

現在の音楽大衆化はアメリカのIT音楽ビジネスモデルによって果たされ、それまでトップを走っていた日本は昔日の耀きをまったく失ってしまったと聞いたことがあります。それを思い出し、1世紀前にジュークボックスを発明したアメリカには、負けてもしょうがないなぁという感慨にとらわれました。

ジュークボックスは、音楽をできるだけ多くの人間が、簡便かつ安価に楽しむべきだというイデアを内包しているからです。シンプルながら、それは脇に展示されていた60年代の懐かしきジュークボックスと基本的に同じ構造のように思われました。

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