2017年6月27日火曜日

静嘉堂「曜変天目」3


古く「窰変」「容変」と書かれるのは、現在の「窯変」のこと、また「曜」は日の光であり、また日月星辰の総称ですから、斑紋の美しさを称賛して、「窯」を同音の「曜」に変えたのでしょう。また「耀変」と書かれる場合もありますが、これも同じです。つまり「曜変天目」は「窯変天目」、それは人知の及ばざるところであり、しかもこんな窯変は天文学的確率でしか起こらなかったのだと思います。

しかし、中国の皇帝がこれを「無上の美」と感じたとしたら、東夷の国日本に輸出などするでしょうか。当然みずからの宝庫に収めたことでしょう。ここには美意識の違いがあったに違いありません。陶磁器にも完璧な美を求める中国において、こんな窯変が起こったら、それは疵物だったのです。

先の杭州曜変が出土したところの近くに、皇帝の迎賓館があったことをもって、中国でも高位貴顕の間で珍重されていたという見解もあるようですが、ちょっと疑問のように思われます。それなら、皇帝のコレクションに、つまり北京や台北の故宮博物院に収蔵されていて当然でしょう。

 

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