2017年5月8日月曜日

三井記念美術館「西大寺展」9


すでに述べたように、インドにおいて二つの曼荼羅は別々の宗教的イメージしたが、これが中国へもたらされて陰陽思想と結びつき、はじめて両界曼荼羅となりました。一種の双幅となったわけですから、当然のことながら、両者を一緒に掛けようという欲求が起こってきます。その場合、どのように掛けるのがもっとも合理的でしょうか。

 もともとインドでは、曼荼羅上における方位というものが決められており、それにしたがって作図されました。もちろんこれは、中国における両界曼荼羅でも踏襲されました。胎蔵界曼荼羅は上が東で、時計回りに東南西北となることに決まっていました。したがって下が西となります。金剛界曼荼羅は上が西で、同じく時計回りに西北東南となりますから、下が東となります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」7

  そのころ日本の禅僧がたくさん元に渡りましたし、長くかの地に留まり、中国文化を持ち帰った場合も大変多いのです。 流行する題画詩も彼らによって日本へもたらされた可能性が高いという指摘は、正鵠を射るものです。(略) このような島田修二郎先生の名論文を読むと、詩画軸こそ詩画一致で...