2017年5月13日土曜日

三井記念美術館「西大寺展」14


 もし大日如来像の両脇に、両界曼荼羅をこのように掛ければ――両界曼荼羅の裏面を大日如来像の方に向け、絵を外側に向けるように掛ければ、方位の観点からも陰陽思想の点からも、きわめて合理的であり、矛盾がありません。両界曼荼羅が誕生した中国では、このような荘厳が広く行われていたのではないでしょうか。それがこの五重塔壁画に残っているのだと言ってもよいでしょう。

中国のことを調べてみたのですが、この問題に言及したものは見つかりませんでした。いつか、中国仏教絵画の専門家に聞いてみたいと思いますが、僕は両界曼荼羅を創案して空海に伝えたと推定される唐の恵果が、インド伝来の方位と中国的陰陽思想を巧みに調和させる荘厳配置を編み出したのだと考えたいのです。

これが日本に入ってこなかったのは、あるいは入ってきたけれども一般化せずに、東壁に胎蔵界、西壁に金剛界を掛けることになった理由はよく分かりません。修法儀式のとき、大きな両界曼荼羅で大日如来像が隠れてしまうことを、視覚的イメージを重視する日本人が嫌ったためでしょうか。あるいは、陰陽の観念が薄かったために、理解しやすい方位だけを重視したのでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

関谷徳衛編『良寛遺墨集』1

関谷徳衛編『良寛遺墨集――その人と書』全 3 巻(淡交社  2017 年)  良寛さんの真贋はむずかしい。そのむずかしい真贋にかけて、誰もが一目置く万葉洞主人・関谷徳衛さんが、半世紀にわたって蒐集した良寛作品をクロノロジカルに編集し、良寛研究家・小島正芳さんの総...