ヒナゲシが我が国に伝えられるずっと前から、知識人はみなこの史実を知っていました。司馬遷の『史記』に「項羽本紀」があったからです。そこに「垓下がいかの歌」が引かれていましたから、みな愛吟していたことでしょう。
もっとも虞美人の血から虞美人草が生まれたという言い伝えがいつ生まれたのか知りませんが、遅くとも宋代にあったことは、姜夔きょうきの五言律詩「虞美人草」が教えてくれます。僕は黒川洋一ほか編『中国文学歳時記』<春・下>(同朋舎 1988年)によってこの詩を知りました。これまた哀情あふれる一首です。戯訳だとよく伝わらないかもしれませんが( ´艸`)
姜夔は南宋の詩人、生涯官途に就かず、江湖を逍遥して終わりましたが、有名な范成大などと吟詠酬唱、その詩は風格高秀とたたえられたそうです。じつは「中華詩詞網」で検索すると、虞美人草を詠んだ詩がたくさんヒットします。それらも単にヒナゲシをたたえるのではなく、みな美しくも哀しい虞美人の面影を反映させているようです。

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