一方、葬送儀礼についても我が国に大きな影響を与えた中国や槿域(朝鮮)では、殉死や殉葬が確実に行なわれていました。これまた『古墳と埴輪』が教えてくれるところです。内藤湖南にしたがって、当時日本に「忠」の思想がなかったか、あるいはあっても希薄であったことに、その理由を求めることができそうな気もします。
また『古墳と埴輪』は、この「儒教のかたち こころの鑑」展を鑑賞する際の興味深いヒントも与えてくれるようです。和田晴吾さんは古墳時代中期中葉の人物・動物埴輪による表現が、他界の屋敷における生活の再現であると考えるのですが、それは父系イデオロギーに基づく男性優位の支配者が営む生活であるというのです。
これは『日本書紀』によると応神天皇16年、百済くだらから王仁わにが渡来し『論語』等を伝えたという話を思い起こさせる――つまり無関係ではないだろうという指摘です。ここで「儒教のかたち」展と「はにわ」展が一気に結びつくことになります。チョッと無理やりだったかな(笑)
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