2024年10月27日日曜日

サントリー美術館「英一蝶」14

その多くは紙本墨画あるいは淡彩の質素なものですが、「虚空蔵菩薩像」(個人蔵)のように絹本濃彩に金泥を加えた本格的な仏画もあります。その興味深い解釈が、カタログ解説に述べられています。この「地蔵菩薩像」のように、一蝶は早くから本格的仏画を描いていたわけですが、三宅島の作画環境が仏画との親和性をさらに高めたように思われます。

 また形而上的問題として、一蝶が熱心な法華信徒だった点を見逃すわけにはいかないでしょう。基本的に狩野派は法華宗(日蓮宗)の信徒でした。狩野安信に就いた多賀朝湖、つまり一蝶ももともと法華宗であつたか、その後信徒となったのでしょう。かくして享保9(1724)正月13日、73歳をもつて一蝶が没したとき葬られたのは、江戸二本榎の承教寺塔頭顕乗院でした。 

0 件のコメント:

コメントを投稿

出光美術館(門司)「琳派の系譜」7

愛用する『能・狂言事典』(平凡社 1987年)から、「高砂」の「鑑賞」を引用することにしましょう。 編者のお一人である羽田昶さんは、能謡曲にまったく無知であった僕を親切に教導してくださった恩人です。 「光琳と能」「宗達と能」といった拙論をまとめることができたのも、ひとえに羽田さん...