もっとも慶長6年といえば、友松が桂宮家に出入りし始めたころですから、挨拶代わりの自己紹介、ブッチャケていえば売り込み作戦だったかもしれませんが、これは友松のために言わないほうがよかったかな(笑)
当時智仁親王は弱冠22歳、千年の齢を保ちつねに緑を失わないトキワの松が、一品叙位をことほぐにふさわしいモチーフであったことは、改めて指摘するまでもありません。ここで思い出されるのは、「一品大夫」という謎語画題です。
金井紫雲の『東洋画題綜覧』によると、松樹に丹頂鶴を描くのが「一品大夫」です。一品はもともと中国における文官の位で、この位のものの装束には鶴が織り出されていたので、一品=鶴となります。大夫は、秦の始皇帝が松に大夫の位を授けたという故事から松のことになります。
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