会場に足を踏み入れると、田能村竹田の「乾山作陶図」が出ているじゃ~ありませんか。文化14年(1817)、竹田41歳のときの掛幅画です。もちろんこの年のことでしょう、竹田は乾山作の「獅子香炉」を手に入れたのです。感激のあまり、竹田はものすごく長い七言詩を詠みました。そして楽しそうに作陶する乾山の像を描き、その上に賛として加えたのです。『大分県先哲叢書』に収められる「竹田遺稿」では、「乾山翁造る獅炉を得て喜びて作る」と題されています。
これについては、相見香雨先生に「乾山獅子香炉と竹田」というすぐれた論文があり、『相見香雨集』1(青裳堂 1985)にも収められています。ところが、拙論を書いたときは完全に忘れていて、その後あるエッセーを書くとき『相見香雨集』を紐解いて「シマッタ」と思いましたが、もう後の祭りでした。
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