2023年2月2日木曜日

追悼 渡辺京二先生

 去年の12月25日、尊敬して止まない渡辺京二先生が92歳でお亡くなりになりました。心よりご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げたいと存じます。5年ほど前、先生の代表的著作である『逝きし世の面影』へのオマージュを「饒舌館長」にアップしたことがあります。それを「おまとめ版」にして再録し、追悼の辞に代えさせていただきましょう。すでに読んだ方はスルーしてくださいませ。

渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー 2005年)

先に渡辺京二さんの『逝きし世の面影』から「ネコ」の箇所を引きましたが、この名著を改めて紹介したいと思います。1930年生まれの日本近代史家・渡辺京二さんが、近代以降の日本が失ってしまったもの――つまり幕末明治までは確かに存在していた我が国の美しさや素晴らしさを掘り起こし、その意味と背景を虚心坦懐に、一切の先入観なく考察した大著です。

その際、渡辺さんがとった方法は、近代に入って我が国へやってきた異邦人による膨大な著作を渉猟し、それを素直に読み込むことでした。このような方法論の根底について、渡辺さんは次のように述べています。

滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らねばならない。なぜなら、私たちの祖先があまりにも当然のこととして記述しなかったこと、いや記述以前に自覚すらしなかった自国の文明の特質が、文化人類学の定石通り、異邦人によって記録されているからである。文化人類学はある文化に特有なコードは、その文化に属する人間によっては意識されにくく、従って記録されにくいことを教えている。この場合、文化とは私のいう文明とほとんど同義である。幕末から明治初期に来日した欧米人は、当時の日本の文明が彼ら自身のそれとあまりにも異質なものであったために、おどろきの眼をもってその特質を記述せずにはおれなかった。しかも、これまた文化人類学の定石通り、彼らは異文化の発見を通じて、自分たちの属する西洋文明の特異性を自覚し、そのコードを相対化し反省することさえあった。もちろん彼らの自文化に対する自負は、いわゆる西欧中心主義なる用語が示すように強烈であった。その意味では、ごく少数の例外を除いて、彼らのうちで、日本文明に対する西洋文明の優越を心から信じないものはなかった。だが、それゆえにこそ、そういう強固な優越感と先入観にもかかわらず、彼らが当時の日本文明に讃嘆の言葉を惜しまず、進んで西欧文明の反省にまで及んだことに、われわれは強い感銘を受けずにはおれない。

 それでは、渡辺さんがこれを著わした意図をどこのあたりに求めればよいのでしょうか。これについても、渡辺さんみずから語るところです。

私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性がいきいきと浮かんで来るのだと私はいいたい。そしてさらに、われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実相をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろうといいたい。

 だからこそ、渡辺さんは異邦人が見出した幕末明治日本の欠点や唾棄すべき点にも、ちゃんと目配りを施しています。驚くべきことに、日本人の心の温かさや慎み深さをたたえる「親和と礼節」の章が、渡辺さんの言葉を借りれば、「ダークサイド」から書き起こされているのです。

以前、日本へのオマージュばかりを集めた本を読んだとき、そんなはずはないだろう、きっと来てみて日本が嫌いになったヨーロッパ人や、悪口をいったアメリカ人もいたにちがいないと思ったものでしたが、渡辺さんはそれも抜かりなく指摘しているんです。

渡辺さんのしなやかな感覚と深い教養に裏打ちされたバランス感覚に、ただただ頭が下がるばかりです。しかも渡辺さんは、アフターフォローを加え、あるいは彼らの批判や嫌悪に因ってきたる理由があったことを解き明かして、僕たちを救ってくれます。

 例えば、書記官として英国大使館に赴任したミットフォードは、父宛の手紙に、「私はどうしても日本人が好きになれません。中国人のほうがつき合うにはずっと気持ちのいい国民です」とか、江戸は風景の美しい街だけれども、壮麗な建造物は全然見当たらず、街並みじたい、家畜小屋が何列も並んでいるようなものだとか、はじめは悪態をついています。

しかし、ミットフォードは間もなく江戸に魅力を感じ、日本人に好感をもつようになりました。晩年に書かれた『回想録』は、バラ色の日本追想で彩られているそうです。

あるいは、乞食の有無という問題も、欧米人の興味を掻きたてたそうです。日本に乞食はいないという言説が流布していたからです。そんなことがあるはずもなく、当時の日本に乞食がいたことは事実です。しかし、例えばかのケンペルがいう「乞食」とは、今日的な意味での乞食ではなく、正しくいえば遊行する人々であって、お伊勢詣や巡礼、比丘尼、山伏、旅芸人が含まれていると、渡辺さんは見抜いてしまうのです。

いずれにせよ、徳川期の乞食は、欧米人観察者が故国で知っていた工業化社会における乞食とは、異なる社会的文化的文脈に属していたと、渡辺さんは考えています。これだけでもホッとした気持ちになりますが、渡辺さんは次のような疑問に対する回答として、日本人の親和と礼節という話を始めるのです。

欧米人観察者が日本の古き文明に無批判でなかったこと、それどころかしばしば嫌悪と反発を感じさせさえしたことは、以上のような事例を一瞥しても明らかである。しかしその批判者が同時に熱烈な讃美者でありえたのはどういう理由によるのだろうか。日本のさまざまなダークサイドを知悉しながらも、彼らは眼前の文明のかたちに奇妙に心魅かれ続けたのである。彼らが書いていることを読むと、「この楽園には蛇がいないのではない」と承知したうえで、なおかつ日本を「妖精の国」[エルフ・ランド]などと形容したくなる気持が手にとるように了解されてくる。

 先にミッドフォードを引きましたが、欧米人の日中比較も興味深いところです。もちろん渡辺さんがスルーすることなどありません。特に、日本人の清潔さを強調するとき、欧米人観察者の念頭には、もう一つ中国という対照がありました。中国に比べれば、日本は天国だという感想を述べている欧米人は、カッテンディーケをはじめ、多くて挙げきれないほどだそうです。

しかしここでも、渡辺さんは「自分のちっぽけな『愛国心』を満足させたいわけではない」と、沈着冷静そのものです。それどころか、ペリー艦隊に随行したウィリアムズのような中国びいきの欧米人をちゃんと登場させます。それにもかかわらず、欧米人に対する中国民衆の敵対的反応があった事実も明らかにするのですが、それは欧米人自身の侵入が招いた結果であって、その因果関係をまったく顧慮しないボーヴォワルをちょっとたしなめています。

そして最後に、中国南部海岸のひどい気候条件や、あまりに異質な中国の風土を――つまり人間の性質や観念ではなく、自然条件を挙げています。渡辺さんて何とすごい人間なんだろうと、さらに感銘を深くします。

 このような渡辺さんの意図にもかかわらず、この文庫本で600ページに近い大著を通読したとき、僕は思わずにいられませんでした。やはり日本は素晴らしい国なんだ。江戸時代こそ理想的な時代だったんだ。僕は100年遅く生まれちゃったんだと……。明らかに渡辺さんの意図に反する読後感であることは百も承知ですが、こういった気持ちをぬぐうことはできませんでした。

そんなことを思いながら、「平凡社ライブラリー版あとがき」へと読み進めば、さらにはっきりと渡辺さんは語っているのです。

私はたしかに、古き日本が夢のように美しい国だという外国人の言説を紹介した。そして、それが今はやりのオリエンタリズム云々といった杜撰な意匠によって、闇雲に否認さるべきではないということも説いた。だがその際の私の関心は自分の「祖国」を誇ることにはなかった。私は現代を相対化するためのひとつの参照枠を提出したかったので、古き日本とはその参照枠のひとつにすぎなかった。

 これを読むとき、さらに心は深く動かされます。平川祐弘さんの「解説――共感は理解の最良の方法である」によると、渡辺さんは「九州に住む在野の思想史家」で、「学問世界の本道を進んだ人ではない」そうですが、今の言葉でいえば、インディペンデント・スカラーと呼ぶべき、偉大な思想家だと思います。むしろ学問世界の本道を自認しているような東京や、京都からも距離を置くインディペンデント・スカラーゆえに、このような独創的視点と思想が生まれたのでしょう。

かつて僕は、「ジャポニスムの起因と原動力」というエッセーを書いたことがあります。それは小林忠さんが監修した『秘蔵日本美術大観』の第3巻<大英博物館Ⅲ>(講談社 1993年)のためでした。

僕が言いたかったのは、ジャポニスムの原点には異国趣味があったと思われるけれども、それは決して単なるエキゾティズムなどと軽視されるべきものじゃないということでした。その時はまだこの名著を読んでいませんでしたが、僭越ながら、何となく通い合う視点でもあるように感じられたのでした。

 本書は「ある文明の幻影」から、「心の垣根」までの14章に分かれています。シルベスター・モースをはじめ、多くの異邦人を感動させた日本の美術・工芸に関する記述は、第5章「雑多と充溢」にまとめられています。しかし、第1章に出るエドウィン・アーノルドの演説に関するエピソードほど、おもしろいものはありません。アーノルドも日本の「美術」を褒めたたえたのですが、それに対して当時の日本人がいかに反応したか、その一節を引用しておくことにしましょう。

彼(チェンバレン)はその好例として、英国の詩人エドウィン・アーノルドが1889(明治22)年に来日したとき、歓迎晩餐会で行ったスピーチが、日本の主要新聞の論説でこっぴどく叩かれた話を紹介している。アーノルドは日本を「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と賞讃し、「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と述べたのだが、翌朝の各紙の論説は、アーノルドが産業、政治、軍備における日本の進歩にいささかも触れず、もっぱら美術、風景、人びとのやさしさと礼儀などを賞めあげたのは、日本に対する一種の軽視であり侮蔑であると憤激したのである。

 最後に、ほとんどすべての欧米人が日本人最大の悪徳としてあげる飲酒についても、酒好き饒舌館長の僕は触れずにおれません。さすがの渡辺さんもこれにはお手上げらしく、弁護や考察はあきらめ、モースのユーモアに満ちた言葉を引いてお酒を、いや、お茶を濁しているのが愉快です。

 日本人は酒に酔うと、アングロサクソンやアイルランド人、ことに後者が一般的に喧嘩をしたくなるのと違って、歌いたくなるらしい。 

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